2008年11月8日土曜日

野球の現在―審判受難の問題の背景


 プロ野球を長く観ていて、近年、非常に気になる現象がある。ジャッジに対するクレームが、何かひどく過剰になっているような気がするのだ。ここで言う過剰とは、ジャッジに関わる当該選手や監督のみならず、メディアや一般ファンの全てが、ジャッジにヒステリックな反応をしているように見えるのである。

 「野球試合で最も重要な役割を演じながら、最も賞賛されないのが審判の仕事である」

 これは、セ・リーグで31年間の審判生活を経験した島秀之助の言葉である(「プロ野球審判の眼」岩波新書)。ここで島は、勿論、称賛を乞うているわけではない。それどころか、昨今のプロ野球には、審判に対する称賛はおろか、中傷、攻撃が眼に余り、何か審判受難の時代の到来という印象が強い。恐らく、島が肌で感じた審判受難の感覚より露骨な尖りを見せているに違いない。島秀之助の言葉は、そのような事態のあからさまな到来に対して、彼なりの感覚で警鐘を鳴らしているのである。

 審判の不手際による、明らかなミスジャッジに対する抗議なら仕方がないかも知れないが、昨今のクレームのレベルは適正な抗議の範疇を遥かに超えているのだ。

 例えば、際どいストライク、ボールの球審の判定や、スチールなどによるアウト、セーフの塁審の判定に執拗な抗議が延々と続けられ、時として、「もっとしっかりジャッジして欲しい」などと、不勉強な解説者(データを実況アナウンサーから教えられる人物が多い)から横槍が入れられたりして、しばしば審判狩りの様相を呈したりする始末。

 また、実況放送を聞いていて、よく投手出身の解説者が、「投手は一球に命を賭けているのだから、審判は良く見て欲しい」などとコメントすることがある。このワンサイドの物言いの傲慢さに、私は思わず、「審判だって命を賭けているのだ」と反論したくもなってくる。

 「もっとしっかりジャッジしろ」とは、恐らく、一般ファンの共通心情である。中には、審判の偏った判定を露骨に非難する人々も多く、伝聞だけでメディアを介して責め立てる。こういう具合だから、ミスジャッジの証拠を得たメディアは、有無を言わせず、当該審判に対して一気呵成に畳み掛けて、その牙を剥き出して止まないのである。

1999年、巨人対阪神戦の一コマ。

 清原選手が放った本塁打が安打にされたときのメディアの反応は、感情丸出しの審判狩りそのものだった。NHKを除く全局が、この虐めに加担したかのようだったのである。ミスジャッジへの批判は止むを得ないところだったが、審判の一つのミスが試合をぶち壊したと言わんばかりの情緒過多な放送は、審判員を心理的に追い詰めていく効果しか持たなかった。それでなくともより劇的で、よりエキサイティングなシーンを求めがちな、昨今のファン心理を過熱させるだけなのだ。

 穿(うが)って言えば、スポーツ観戦を情緒の洪水で満たしていくことに歯止めがかからないファン心理に迎合するばかりか、しばしばそれを先取りし、より刺激的な情報でスポーツシーンを囲繞していく役割を、大衆消費時代のメディアが果たしているとも読み取れるのである。

 しばしば、メディア・スクラム(集団的過熱取材)を露わにして止まない攻撃的な煽情報道こそ、消費をコアとする社会に相応しいメディアの流れ方であり、見過ぎ世過ぎの道でもあろう。煽情報道は必ずしもスポーツマスコミや、大衆週刊誌の専売特許ではないが、それでも、その踏み込み方のヒートぶりは見出し戦争の様相を呈しているのは周知の事実。煽情報道が大衆消費社会に深々と根を張っている限り、スケープ・ゴートを必要とせざるを得ないのだ。そして、そのスケープ・ゴートは、限りなく「本物の権力」から遠い対象が望まれるであろう。 

 プロ野球審判員は、全ての微妙な判定が、いずれかのチームのファンからの苛烈な非難に晒され、そこでの怒号や野次が、半ば以上、憂さ晴らしの役割を果たしている。彼らプロ野球審判員は、品性を欠いた監督や選手から人権侵害すれすれの罵声を浴び、突かれ、蹴られることもあるのだ。彼らは哀れにも、グラウンドでの格好のスケープ・ゴートにならざるを得ない構造性が、そこにあると言わざるを得ないのである。

 私には未だに信じ難い四つの事件が、過去のプロ野球シーンの中に確かにあった。

 1982年のこと。阪神の現役コーチが審判に殴る、蹴るという暴行を働いて、永久出場停止処分になった事件(注1)がその一つ。あろうことか、この処分はやがて解除され、二ヶ月間の出場停止処分に変更されている。

 1990年には、ロッテの金田監督が審判を蹴飛ばして、一ヶ月の出場停止処分になっている(注2)。これがその二。

 そして、1997年の6月。

 日米審判交流で日本に派遣されていたディミュロ審判が、中日(当時)の大豊選手を退場処分にした際に、選手や首脳陣に胸を突かれるなど、一方的な暴行を受けて辞任し、シーズン半ばで帰国した事件(注3)。

 これが三つ目の事件だが、氏のコメントの中に、「身の危険を感じた」という内容のものがあった。あろうことか、この切実な心情を訴えたコメントに対し、スポーツマスコミは概(おおむ)ね一笑に付するという反応によって応えたのだ。この印象は蓋(けだ)し鮮烈だった。

 四つ目の事件は、1998年。

 巨人のガルベス投手が審判に向かって、硬球を投げた事件(注4)がそれである。

 その結果、同投手は退団する羽目になったが、翌年再入団。まるで何ごともなかったかのように1年間投げ続けて、マスコミも全くそれに言及することはなかった。過去を安直に白紙にする日本人的配慮と言うより、審判への傷害未遂事件という過去そのものが、そこに全く存在しなかったと把握されているようにも見えて、私には却って薄気味悪かった。

 そのことに関して、私に全く解せないのは、事件への道義的責任を感じて丸坊主にしたほどの責任監督(長嶋茂雄氏)が、単に戦力不足とも思える理由から、同投手を再入団させた一貫性のない行動である。この監督の倫理感覚の底の浅さに驚くと同時に、同投手に狙われた審判氏への心情を察するに余りある。

 以上の四つの審判受難の事件は、この国のプロ野球の文化的成熟度の低さを露呈するものである。暴力主体をスポイルするスポーツマスコミと、それに煽られて悪乗りするファンの間に、「ミスジャッジする審判が悪い」という空気の形成が助長されていく。

 この流れは、よりエキサイティングなベースボール・シーンを求めがちな、消費としてのスポーツの商品価値を全く貶めないどころか、犠牲の羊を必要とするほどの過剰な展開と重なって、大量消費社会の近未来スポーツの危うさを予感させるのである。

 そのことを痛感させる極めつけのシーンがある。

 プロ野球の年中行事のようになっている乱闘シーンがそれである。

 両軍入り乱れての格闘技もどきのこの逸脱性は、明らかに消費としてのスポーツという市場に踊った、解放された祭りの醍醐味を見せるものである。

 遊びから分化したスポーツが、本来そこに内在していた「模擬」、「眩暈」という祭りの要素に、「競争」、「偶然」(以上の四つの概念は、フランスの社会学者ロジェ・カイヨワが「遊びと人間」で使用したもの)という近代的要素を加えて昇華したはずの一大娯楽に潜む爆発性が、解毒処理されながらも、熱狂が集合するグラウンドに弾けていく危うさは常にあるということだ。

 スタジアムで消費するファンに、サーカスを見せることを宿命づけられた現代スポーツは、一方で薬物に依拠して記録を更新する回路を、他方では祭りの爆発性を、ゲームの合法的内実、または、非合法的逸脱性によって不断に保証する回路を既に開いてしまっている。プレーの主体は、消費されていくものとしての価値を少しでも上げていくために、絶えず何かに駆り立てられているようであり、熱狂に突き動かされて、より多くの本塁打を、より迫力あるKOシーンを、より華麗なる演技を、継続的に披露し続けねばならないように仕立て上げられていく。

 “より速く、より高く、より劇的であれ”
 
 氷のリンクでは、4回転ジャンプの饗宴を、ローラン・ギャロス(注5)のクレーコート(土でできたテニスコート)では、果てしなく続くラリーの応酬を、ウィンブルドン(注6)の芝では高速サーブの超絶技巧を、F1レース(カーレースの最高峰)では、最強のエンジンによる時速300キロの夢の世界を(注7)、夏のアルプスには、屈強な男たちが厳しいドーピング・チェックを受けながらも、マイヨジョーヌ(注8)目指して山を昇降するのである。
 
 このじわじわと進行する消費としてのスポーツの、その無秩序な流れをリードする熱狂が、しばしばミスジャッジに足元を掬(すく)われて、プロ野球シーンでは一気に苛立ちが集合し、その最も非武装の部分に雪崩れ込んでいく。

 プロ野球審判員は、一見グラウンドの権力もどきだが、そこに権威の裏づけが殆どないから、職域での異様な熱狂を裁き切れないのである。ここに、審判の受難劇の深刻な事情がある。彼らに、フーリガン(注9)にも似た野蛮を制圧することを求めるには、殆ど銃の携帯を認知する以外ないのかも知れないのである。
 
 哀れなる者、汝の名は審判諸氏なり。

 審判受難の現象は、海の向こうの本場アメリカでも相当深刻なようである。

 メジャー・リーグが変貌しているのである。いや寧ろ、消費としてのスポーツはアメリカにおいて顕著だから、この国のスポーツ文化も、高度大衆消費社会の放漫なる荒波に洗われて漂流している現実は当然でもある。

 然るに、五階級(ルーキー、1A、2A、3A、メジャー)に対応した審判員の階梯のそれぞれに定員制があり、その入り口に当る審判学校への入学自体が既に狭き門になっていて(1日、10時間の受講が義務)、その頂点に当るメジャー・リーグ審判の収入は、日本のプロ野球の2倍を超えていると言う。

 そして、労組すら存在するそのアメリカで、一体何が起っているのか。

 メジャー・リーグ審判員は70人に満たないが、一つでもポストが空かない限り、下位リーグからの補填はない。メジャー・リーグ審判まで上り詰める審判員は、審判学校卒業者たちの僅か100分の1を占めるに過ぎず、そこに彼らの権威の高さが窺えるだろう。

 1998年のメジャー・リーグ・シーンに、そのことを実証するエピソードがあった。

 近年、稀に見るスラッガーで有名なマグワイア選手がストライクの判定に猛抗議して、退場させられた出来事があった翌日、注目度の高い当選手は記者会見を開いた。そこで彼は、深く反省する内容のコメントを開陳したのである。

 「大リーグ公式ルールブック」によると、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであり、その裁定に異議を唱えることは決して許されないのである。彼の会見の目的は、例え彼が、一年目のメジャー審判のミスジャッジを確信していたにせよ、審判制度に風穴を開ける愚を侵してはならないことを、公的に確認するためであったように思える。制度の維持は、プレイヤーサイドが審判の権威を認知する努力なくしては極めて困難であるということだ。

 実は、マグワイア選手が退場させられた直後、スタジアムにはブーイングの嵐が渦巻き、騒然となった。当選手は、熱狂に走る観客たちの不満の捌(は)け口が、孤立する審判に向かう事態を回避したかったに違いない。当選手の本塁打をリアルタイムで観たいと願うファン心理にとって、「非情」なジャッジは許し難きものとなるのである。

 熱狂が集合するスタジアムの反応は早く、巨大な坩堝(るつぼ)のようなのだ。

 今、スタジアムは、一日過ぎれば解消する類の些細な変事に必要以上に反応し、沸騰してしまう。より刺激的なシーンを求める観衆の熱狂が波動となって、しばしばプレーヤーを動かし、プレーヤーもまたそれを活力源にして、そこに更に巨大となった熱狂が無秩序に暴れ回る。ファンは息詰まる投手戦よりも、熱狂を作り出す乱打戦を求めるようになり、これがジャッジの改定を巻き込んで、内角や高めのボールをストライクにとるに及び、打撃戦化の流れが極まったのだ。

 それは、審判の権威の失墜化の流れと軌を一にするだろう。
 空中戦になりやすい打撃戦では、投手戦に比べてジャッジの影響力は小さくなり、審判は単なる進行係と化していくのである。

 審判員の危機意識が底流となって、遂にナ・リーグ13人の辞職騒動が起きた。失墜しつつある審判の権威の回復を狙ったこのギャンブルは、審判員の完全敗北となり、ア・リーグを含む20名の審判員の辞職が決定した。1999年9月のことであった。

 衛星放送画像が伝えて来るファンの反応はあまりに冷淡で、「審判は生意気だ」と吐き捨てる人がいることに驚かされた。これが、大リーグの現在なのか。しばしば選手よりも大柄で、クレームが少し長く続いただけで相手を退場させてきた、あの威圧感溢れる大リーグ審判員と、それを支えてきたであろうベースボール文化が、今明らかに変貌しつつあると言うのか。

 ナ・リーグは辞職した審判の穴を、3A審判からの補填で賄った。メジャー・リーグ審判員の誇りはズタズタに引き裂かれたのである。

 消費としてのスポーツが、かくまでにヒートする時代の向うに、一体何が見えるのか。

 因みに、審判の権威を守ろうと尽力したマグワイア選手は、この年、65本の本塁打を放って、3年連続のホームラン王に輝いた。(以上、衛星放送第1、「メジャーリーグの最強の演出家たち」/1999年9月23日放送参照)因みに、彼の引退後、薬物疑惑スキャンダルによって、マグワイア氏が米議会の場で証人喚問された事実も添えておく。


(注1)前年に守備・走塁コーチに就任した島野育夫が、8月31日の大洋(現在、横浜ベイスターズ)戦で、藤田平の打球のファール判定に対して猛抗議した挙句、退場宣告に激昂した柴田猛コーチと共に、審判に激しく暴行を働いた由々しき事件。

(注2)1990年6月23日、西武との試合で高木敏昭審判の判定と、その直後の退場宣告に激昂した金田正一監督は、同審判に対して足蹴りを加えるという無法振り。更に試合後の会見で、同監督は、「下手な審判がいなくなるまで、何回でもやってやるぞ」などと言いたい放題。この発言に憤慨した高木審判は、「こんな奴がいるところで、ジャッジができるか」と厳しい態度で反応して、結局、シーズン途中で辞任した。同審判は、13年に及ぶ審判活に自らピリオドを打つことになったのである。

(注3)ストライクとコールされたことへの執拗な抗議に対して、ディミュロ審判が大豊選手を退場処分した際に、中日の選手から暴行を受けて乱闘騒ぎとなったことに審判氏は大きなショックを受け、後日、アメリカに帰国したことで、「日米野球摩擦」として、連日スポーツ・マスコミを騒がせた。アメリカCNNのトップニュースとなったこの事件の根底には、「野球エリート」になれなかった、この国の審判員に対する、差別感情を含むプレイヤーサイドの優越意識が横臥(おうが)しているように思われる。

(注4)同年7月の阪神線で、橘高淳(きつたかあつし)球審のボールの判定に冷静さを失った巨人のガルベス投手は、元々、集中力の継続し難い同投手の欠点が露呈され、その直後にホームランされたことで完全に切れてしまった。彼は投手交代の際に、あろうことか、ベンチに退きかけるや否や、危険な硬球のボールを、球審めがけて投げつけるという事件を出来させたのである。全く弁明の余地のない、言語道断な無法振りに対する球団の処置の甘さもまた、充分にお粗末極まりなかった。

(注5)ブローニュの森(パリ郊外)にある、全仏オープンテニスの開催地。会場名の由来は、冒険飛行家の名からとった。

(注6)ロンドン市郊外の地で、全英テニス選手権大会(全英オープン)の開催地。ウィンブルドン・テニスは、最も権威あるテニス大会であるとされる。

(注7)モナコでは、このロケットカーが市内を走り、目前でサーカスを披露し、そのグランプリレースは、アメリカのインディ500やフランスのル・マン24時間と並び、「世界三大レース」の一つとされる

(注8)ツール・ド・フランス(真夏のアルプスを走る世界最高峰の自転車レースで、夏季五輪、サッカーW杯に次ぐビッグ・イベント)の総合チャンピオンになった者が、その名誉を称えられて送られる、黄色いジャージのこと。  

(注9)ヨーロッパ(特にイングランド)のサッカー場で、殆ど自己目的的に騒動を起こす熱狂的ファンのこと。サポーター同士の衝突が常態化したことで、近年、暴動目当ての「サポーター」に対する事前の取締りが強化されている。移民が増えている欧州では、人種差別的なトラブルの出来が問題化され始めた。

 また、1985年5月、ブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで起こったサポーターによる乱闘死事件(死者39名)は、「ヘイゼルの悲劇」と呼ばれてあまりに有名である。

 更に、2009年3月の「コートジボワールの悲劇」では、観客が22人死亡するという事件が発生。

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