2008年12月1日月曜日

近代スポーツの風景


 “スポーツ”― それは、現代を眩く彩る様々なる快楽仕掛けの一つである。しばしば最も安上げりで、最も効率の良い特段の仕掛けとなって巷間を過剰なまでに泡立たせている。

 それが運んで来る熱狂と興奮は、殆ど空疎で狭隘なイデオロギーを蹴散らせて、人々を過剰に繋ぎ、必要以上に共振させ、意識の隅々を危ういまでにクロスさせていく。

 そこに溢れ返った情緒は空気を制覇し、無造作に束ねられた網のように絡み合って、心地良き波動となって天を突く。

 ドームという人工空間の中では、沈黙は悪であり、瞑想は邪道である。

 
東京ドーム4階席からのフィールド全景(ウィキ)
 

そこでは自我を解放し、叫び、舞い、暴れることが善である。都市の展開の一つの知恵の、極めて巧妙な空間的帰結点、それがドームである。一見、無秩序に展開しているかのような都市に、最大許容点で区切った秩序を強いた上で、そこにたっぷりと円形劇場の快楽を仕立てていく。ドームは、現代のコロシアム(注1)なのだ。

 剣闘技(注2)ならぬ、眩いまでの制服に身を包んだプレーヤーの真剣な野外公演に、絶妙なタイミングで反応していく消費者は、この消費の只中に、無造作に出し入れさせる躁感覚の気分を印象的に刻印して、これが人々を継続的にコロシアムに繋いでいくパワーとなる。

 
ローマのコロッセオ(ウィキ)
円形劇場の魔力は、視覚的には、それを遮断する何物もない稜線から眺望したときの、一大スペクタクルの快楽を充分に髣髴(ほうふつ)させるが、更にそこには、それ以上の劇場的効果が加わるから、サーカスを要求し続けたローマ市民の群れが、そのままドームにタイムトリップしてきたものと見ることもできるだろう。


 また、食肉としての牧畜と宗教儀礼が結合した、歴史的継続力を持つスペイン闘牛(注3)の文化的表現力よりも、ドームという名の特定的に仕切られた機械仕込みの劇場における、近代スポーツの極限的展開の方が、遥かに時代の気分を炙(あぶ)り出している。

 いつの時代でも、大衆的熱狂の本体は躁状態の人工的な仕立てであって、まさにこの仕立てのための消費財の一つとして、近代スポーツの立ち上げが待望されたと言っていい。
 
 
闘牛に反対するPETAウィキ)
 

因みに、アニマルライツ(動物の権利)やアニマルウエルフェア(動物福祉)の倫理的文脈から見れば、スペイン闘牛の文化的普遍性は既に崩壊していて、EUのスペイン闘牛への融資に抗議して、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)のメンバーによるダイ・インが実行される事態に象徴されるように、時代と整合性を持っていたはずの闘牛における大衆的熱狂の仕立ては、今や、人工的な観劇システムによって倫理的に秩序付けられない限り、文化としての市民権を確保できなくなったということだ。
 
 
ピエール・ド・クーベルタン(ウィキ)
ともあれ、近代オリンピックを創設したクーベルタン男爵(注4)の意図が、大衆的熱狂を戦争以外のものに求めることにあったのは周知の事実である。スポーツによる国家間の代理戦争によって大衆的熱狂を仕立てられれば、国際平和の実現が容易に具現できると安直に把握したわけではないだろうが、この知恵深い、際立って人間学的な方略がスポーツの近代化と国際化、それに大衆的気分の躁的な集合化に道を開いたことは否めないだろう。


 近代スポーツは、それ故、自然に進化を果たしてきたのではない。

 ゴルフ、射撃、サッカー、水泳、ラグビー、ヨット、自転車、ボクシング、ホッケー、バトミントン、テニス、陸上競技、などはイギリスで、アメリカンフットボール、野球、バスケットボール、バレーボールはアメリカで生まれ、より高度な技巧の進化によって現在に至っているのは周知の事実。それは多くの場合、近代スポーツとは隔たった素朴な娯楽の文化の中から、それを必要とする人々によって人工的に、理念的に発明され、発展を遂げていったのである。
 
 
アメリカンフットボール(ウィキ)
 

良かれ悪しかれ、何ものをも貪欲に商品化して止まない、自己膨張する資本主義。

 ここに重厚にアクセスすることで、私たちの近代スポーツは娯楽の一方の雄として、なお大衆の熱狂を仕立て続けている。そして一度開かれた熱狂に秩序の枠組みを巧妙に被せているから、熱狂が日常性を食(は)むことがなく、そこに継続力と自己完結性が保証されることになったのである。
 
 近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。この気分の流れは、「勝利→興奮→歓喜」というラインによって説明できるだろう。

 
インスタントリプレイで確認するNBAオフィシャル(ウィキ)
 

まず何よりも、近代スポーツは、勝利という事実による紛う方ない躁気分の報酬を受けること。これが第一義的価値となる。勝利感が興奮状態を作り出し、これが歓喜の気分を人々の脳裡に深く焼き付ける。そしてそれぞれのゲームごとに、自己完結感が届けられることになるのである。

近代スポーツが、必ずしも予定調和のラインをなぞっていかない偶然性のゲームであればこそ、勝利感が開いた快適な気分のラインを、思い入れたっぷりにステップ・アップしていくことが可能になるのだ。近代スポーツでは、勝利という概念に含まれる意味合いこそが何より重要なのである。

 思うに、敗北という事実結果から躁状態を醸し出すには、局面的な満足感を上手に切り取って、それを近未来の勝利の予感に繋いでいけるような心情操作に成功した場合に限られる。敗北による自己完結感の中で夢が繋がれば、近代スポーツの継続力に衰弱の翳りは見られないのである。

 勿論、勝敗など度外視して、スポーツを純粋に楽しむという人がいても当然構わないが、多くの場合、それを遊びとして興じているに過ぎない。相手を必要とするスポーツで、記録を残さず、ただ楽しむだけに身体を展開するゲームを観る者もまた、勝敗抜きにゲームと付き合うという世界は、殆ど前近代の何かであるか、或いは、単に社交のツールとしてのゲームでしかないであろう。

 

ジョギングがマラソン競技と異質なスポーツであるように、勝敗による自己完結性を持たないスポーツは、ここ百年間の間に欧米で発明された近代スポーツのラインから逸脱するものである。無論、そんなラインからの逸脱を歓迎しないわけではない。それが近代スポーツの周辺で、個々の多様な事情に即した消費を果たしていればそれでいいだけの話である。
 
 然るに、ここでのテーマは近代スポーツの風景である。

 そして、勝利こそ近代スポーツに於いては第一義的価値であった。

 共同体の喪失によって手放した、人々の自己完結感の希求が近代スポーツの中で具現したとき、恐らくそれまで遊びのカテゴリーの中にあったものが、より高速化された時代に見合った特段の娯楽の内に止揚されたのである。明瞭な勝敗の導入によって勝者と敗者が作られて、そのときのゲームの括りの中に、そこに思い入れ深くアクセスする人々の自己完結感を紡ぎ出した。近代スポーツは、近代が壊してきたものの甘美なエキスである自己完結的な日常感覚を、人工的に仮構するものとしても有効だったのだ。

 
近代スポーツが勝敗主義を捨てられないのは、至極、当然なことなのである。勝敗によるゲームの括りなしにそれは成立するわけがなく、よしんば、近代スポーツが勝ち負けに拘泥しなかったと仮定したら、エンドレスな身体の転がし運動を誰も止められなくなって、祭礼の無礼講のように壊れる者が出て来るまで蕩尽し続けるだろう。
 
 勝利し、興奮し、歓喜すること。
 
 結局、近代スポーツはこのラインを目指す外にないのだ。これを一定のタームごとに消費する。自己完結感を手に入れて、明日に臨む自己の更新を図り、そこに少しばかりの熱量を含んだ時間を継続させていくのだ。この継続力が近代スポーツを支えていると言っていい。熱狂が仕立てられ、其処彼処で巨大な渦を作って、時代をいつも印象的に彩っていく。私たちの近代スポーツは、私たちの夢の欠片を代償的に満足させながら、なお進化を止めないでいる。

 近代スポーツが、勝者と敗者を作り出す飛び切りの娯楽であるという現実は、もう否定しようがないのだ。勝つか負けるかというところまで流れ着かないと、多くの人々の自我が落ち着かないのである。
 
 
クロード・レヴィ=ストロース(ウィキ)
古い例だが、レヴィ=ストロース(注5)の「現代世界の人類学」(サイマル出版会刊)によると、ニューギニアの高地族にサッカーを教えたら、人々はサッカーに興じつつも、いつまで経っても勝敗によるゲームの決着をつけようとせず、だらだらとゲームを続けているばかりであった、という興味深い実話が紹介されている。


 前近代社会では、ビッグマンと呼ばれる長老を頂点とする、「秩序づけられた平等主義」というものが共同体のコアにあって、たとえ、スポーツと言えども、この原理を壊しかねないような勝敗の決着は付けられないのである。人々を動かす原理が異なる社会では、スポーツの受容の仕方も異なるのということだ。と言うより、前近代社会には、「スポーツ」という概念そのものがなく、それに似たものは悉(ことごと)く「遊び」の概念の内に収まってしまうのである。

 
ロジェ・カイヨワ
それらは、身体を動かすゲームという意味に於いて、確かに身体運動文化という範疇に含まれるだろう。しかし、ロジェ・カイヨワ(注6)の言う、「競争」と「偶然」という要素(彼は「遊び」を、「模擬」、「眩暈(げんうん)」→「競争」、「偶然」という流れで定義した)が稀薄で、近代スポーツに特徴的な偶発的熱狂というものが、そこにはない。それは、気晴らし以上の何かではない。それらは関係的秩序を維持する手段でもあるから、当然の如く、共同体社会に深々と依拠する彼らが敗者を作り出す危険を敢えて冒すわけがないのである。


 この違いが、両者を決定的に分ける。

 近代スポーツでは、敗者の創出を不可避とする。敗者の創出によって、勝者は初めて価値を持つ。敗者の創出こそ、近代スポーツの本質であるとも言えるのだ。

 誰が誰に負けたか。どのように負けたか。

 それがここでは重要なのだ。狂わんばかりに地団駄を踏んで悔しがる敗者を相対化することで、初めて勝者の栄光を価値づける。これが近代スポーツなのだ。たとえ負けても、直ちに仲直りする遊びの秩序との違いは明瞭である。

 近代スポーツは、ある意味で戦争の代用品だった(注7)。

 死体を出さない代わりに、敗者にはとことん悔しがってもらう。恨んでもらってもいい。でもそこに一定のルールを設ける。その悔しさや恨みは、あくまでもフィールドの中で返報してもらう。フィールドの中のルールも守ってもらう。その上で、フィールドの限定的な枠内で競争する。これが近代スポーツの枢要なテーマの一つなのだ。

 
サッカー・ワールドカップ
 

このテーマを殆ど写しとってきたのが、サッカー・ワールドカップ(注8)である。それは一種の南北戦争であり、欧州内覇権戦争であり、しばしば本物の戦争のリベンジであり、時には本物の戦争への起爆剤にもなってしまった(注9)。

 それはオリンピックの熱狂の更に上を駆けて、まさに近代スポーツの本質と典型を集中的に映し出す。そして、ボールとゴールポスト以外の余計な装飾の一切を剥ぎ取って、人の進化の象徴である頭と脚のみを駆使して、一点をもぎ取る最も原始的、且つ格闘的スポーツ。このサッカーというスポーツこそ、人が昔、狩人であった記憶の残像を炙り出すのに充分過ぎるネイティブな競技なのだ。

 サッカーに同居する近代性と原始性。

 
サッカー・ワールドカップ
その象徴性こそ、キング・オブ・スポーツの名に相応しいとも言える。近代スポーツの華であるサッカーは、プリミティブな部分をいつまでも残しつつ、近代を呼吸する人々の熱狂を集合させて、より芳醇な快楽を保証する方向で時代を抜けていくかのようである。


 近代スポーツが開いた勝敗主義は、必然的に効率の原理を分娩してしまうのだろう。勝つことを至上とするスポーツは、勝つための効果を最大化する戦略を当然導き出すのだ。科学やその周囲の有効な情報を網羅し、応用することで、益々、近代スポーツは遊びから乖離していくのである。

 
シンクロナイズドスイミング(ウィキ)
 

しかし、この文脈を簡単に認めることに抵抗を示す人々が、多々いることも事実である。いや寧ろ、スポーツに夢やロマンを仮託する人々がいるからこそ、近代スポーツの継続力が保証されるとも言える。当然、ロマンがあっていい。奇跡のヒーロー伝説が語り継がれてきてもいい。しかしそれらを受容することは、近代スポーツの勝敗主義を是認することと全く矛盾しないのだ。敗者の美学を熱っぽく語ることが、近代スポーツの勝敗主義を補完する役割を果たしてしまうのである。

 結局、近代スポーツの醍醐味は、まさに勝利によって手に入れた興奮と歓喜が、激発的に表出されるという臨場感の中にあって、リアルタイムで被浴する躁気分の手応えを分娩させながら、「負けたけど、楽しかった」という相対的快楽を、いつでも確実に上回ってしまうということ。それだけは否定し難いのだ。

 

「勝ったから面白かった」という絶対気分に対抗できるものとして、しばしばアンチの心理が措定されるが、では何故、アンチの心理が普遍性を持ち得ないか。当然過ぎることだ。贔屓(ひいき)チームが奇跡の優勝を果たしたら、誰しも、「勝ったから面白かった」と快哉を叫び、その勝利に興奮し、歓喜に酔い、「この夢よ、覚めるな」と念じる人が出ても全く可笑しくないのである。

 何のことはない。
 アンチの心理とは、常勝を誇る拒絶チームへの裏返された熱中なのである。最も弱きチームへの拒絶がアンチの心理に収斂された例(ためし)がないことは、とても示唆的である。

 

常勝の人気チームへの拒絶がアンチの心理として固まりやすいのは、常勝であるという客観的事象に、人気性やマスコミの偏向性が被さって、そこに理不尽な商品価値が随伴するなどという外部的事実に強い反感を抱くからである。この外部的事実(その実は、営業努力)は拒絶チームの責任ではないが、これらの因子で権威づけられた拒絶チームによって、自らの応援チームが相対化され、憎い敵を倒す快感を味わうためにこそ敵の強さが要請されてしまうのである。

 強い敵を倒してこそ、アンチの心理がキープされる。それ故、贔屓(ひいき)チームが常勝を重ねていけば、アンチの心理は呆気なく氷解してしまうのである。アンチの心理もまた、近代スポーツの勝敗主義から解放されていないのである。
 
 繰り返して書く。

 
ラグビーでのスクラム(ウィキ)
 

スポーツは勝つから面白いのであり、負けるから面白くないのである。そして感動的に勝つからもっと面白いのであり、屈辱的に負けたからもっと面白くないのである。そして接戦で逆転負けしたから、更にもっと面白くないのであり、ここで勝って欲しいときに敗北を喫したから、内側にプールされたストレスを拭えないほど、いつまでも面白くないのである。

 近代スポーツの醍醐味は、劇的に勝つことで一気に鼓動が高まり、歓喜の余韻がいつまでも自我に残っているような至福感を経験することに尽きるだろう。感情を激しく揺さぶられつつ勝つという経験が、スポーツの中に何某かの物語性を、より強く求めさせていく。そしてそこに蝟集する人々は、より刺激的な観劇の完結感を常に手に入れようとするのである。

 こうして近代スポーツは、人々の多様で、難しいニーズの要請に応えるようにして、確実に進化を遂げていく。ロマンの追求と効率の追求を同居させつつ、消費を極めた人々に、より高度な快感を提供する使命を負って、近代スポーツの展開は汎国民的な盛況を仕立てていくのである。

 

 

ロマンの追求と効率の追求という命題が、近代スポーツにあって劇的に、感動的に勝ち抜いていくという基幹文脈のうちに収斂されるとき、大衆の熱狂は極まり、文化としての継続力はより深まっていく。そこでは、露骨な勝敗主義は毛嫌いされ、ゲームメーカーとしてのセンスこそが、まさに当事者能力として切に求められることにもなる。人々の刺激充足への渇望が、際限なくエスカレートしていくからだ。

 大衆諸費社会の中で、当然、「文化としてのスポーツ」も余すところなく消費の対象になり、しばしば過剰に蕩尽されることになる。消費者の消費感覚が漸次肥えていくにつれて、「文化としてのスポーツ」に蝟集する消費者は、より刺激的な観劇を、そこに求めざるを得なくなるだろう。いつしか、「文化としてのスポーツ」は、かの消費者によって、多大な劇場効果を継続的に要請されざるを得なくなるのである。
 
 かつて、関西のある人気ボクサーは、大衆のこうした刺激充足の渇望を先取りし、それをベースにした無防備な攻撃一点論のスタイルを仕立てていったという印象が、私にはとても強かった。そこには、短期爆発型の玉砕戦法を得意とする、この国の闘争様態が垣間見られたが、当然の如く、かの人気ボクサーは長期戦を堪えられず、惨めにもリングに散り果てただけに終ったのである。

 ヒットしないパンチを振り回し続けて、それが偶(たま)さか印象的なストレートによって、相手を僅かに捕らえるシーンが観劇効果を生み出すから、人々には激しい接戦のイメージが焼き付いてしまうのだ。しかし実際は、相手の冷静なブロックに弾き返されただけの完敗戦が多かったのである。

 
「後の先」を重んじる白鵬(ウィキ)
 

そこには、相手の弱点を研究し続けて、勝利の確率を限りなく高める戦術の駆使と、それを支える最高身体条件の完備という、地道で合理的な闘争主体の構築があまり見られず、この国の、「知恵で勝つ」とか、「後(ご)の先(せん)」(相手を誘い込むようにして攻撃させた直後に、有効な反撃を加える)という、もう一方の良き伝統の片鱗もない。

何か浮薄な、スポーツの観劇効果のみを求めがちな、過剰なスポーツ消費の空気にすっかり澱んでいるかのような印象が残るのである。
 
 
 観劇者がスポーツを仕立て、ゲームを動かしていく。

 
セーリング・420クラスのレース風景(ウィキ)
 

そんな時代のスポーツに、果たしてどのような未来が待っているか、私は知らない。しかし近代スポーツが、大衆の視覚に対して、より快適に反応していくような動きを必然化するという流れはいよいよ固まっていくようである。

(この「近代スポーツの風景」という名の小論は、1990年代半ばから2000年初めにかけて、断続的に書き上げた内容を、2007年から2008年にかけて一部加筆したものである)


(注1)紀元80年にティトゥス帝の手により完成した、古代ローマにあった円形闘技場。約5万人を収容したと言われる、屋根のない巨大なるスペクタクルの娯楽場であった。

(注2)コロシアムで、当時のローマ市民に娯楽を与える目的で繰り広げられた、剣闘士(ローマ市民もいたが、多くは奴隷や罪人)同士の戦い、更には、猛獣との命を賭けた死闘。最初は宗教的色彩を持っていたが、やがて、労働から離れたローマ市民を熱狂させる格好の娯楽としての性格に転じていった。

マタドール(ウィキ)
(注3)マタドールと呼ばれる、言わば、エリート正闘牛士が活躍するスペインの国技。一日で数頭の牛が犠牲になる一方、闘牛士は観客に白いハンカチを振ってもらうことで、その勇気を称えられることは有名。
         
(注4)1894年に国際オリンピック委員会(IOC)を設立したフランスの教育者。その2年後、アテネで第一回大会を開催し成功に導いた。その理念は、「オリンピックは参加することに意義がある」という有名な言葉に集約される。

(注5)フランスの文化人類学者。親族の研究や神話の構造分析を行なう中で、「構造主義」の哲学を確立し、西洋の自文化中心主義を批判して、現代思想に多大な影響を与えた。「親族の基本構造」、「悲しき熱帯」などの著作がある。
 
(注6)「遊びと人間」という著書で有名な、フランスの思想家。遊びの独自の価値を、前記の四つの概念によって説明した。

ジョンソン・サーリーフ大統領(ウィキ)
(注7)2005年11月に、リベリア(黒人解放奴隷のアフリカへの帰還によって作られた国)で、アフリカ初となる女性大統領となったサーリーフ(イギリスのサッチャーになぞらえて、ドイツのメルケル首相と共に、「鉄の女」と称される)は、泥沼の内戦で荒れ果てた国家の再建の一環で、対立した者同士によるサッカー試合を開催した。

 選手の中には義足の者もいて、明らかに内戦の傷跡を残すが、それでも、ルールに基づくスポーツの役割の大きさを再認識するものであったと言える。

高度成長を極めた先進国と違って、途上国にはなお、「戦争の代用品」としてのスポーツの存在が一定の役割を果たしているということである。

サッカー戦争の原因となったワールドカップ予選(ウィキ)

(注8)1969年6月、サッカー・ワールドカップメキシコ大会の予選の試合で、エルサルバドルに惜敗したホンジュラスが、それを遺恨として国内のエルサルバドル人不法入国者を強制送還したことで、遂に国交断絶した挙句、戦争にまで発展したという有名な話がある。

(注9)1930年に、第1回大会が南米のウルグアイで開催され、爾来、4年に1度、世界中のサッカーファンを熱狂させてきた一大スポーツ・イベント。

0 件のコメント: