2018年3月9日金曜日

「平昌五輪」 ―― 近代スポーツの宿命と結晶点


金メダルを獲得した日本女子団体パシュート
1  自らが背負った負荷を昇華する高梨沙羅の「恐怖超え」





近代スポーツの発祥地・ラグビー競技を生み出した「ラグビー校」(ウィキ)

近代スポーツは、の好奇心に睦み合うように作られていく

そこで作られた新種のスポーツは、時代の鮮度が削(そ)がれることがないように、万全のルールを作り、「より面白く」・「より緊張感を保証」し、観る者と一体化する競技を構築していく。

「競争性」と「偶発性」によって成る近代スポーツの本質である、「競争的偶発性」の純度を高めるまで構築されていくのだ。

かくて、鮮度の高い競技に観る者を釘付けにする。


大脳辺縁系が感受した刺激的情報が、瞬時に、間脳に位置する視床下部に伝達されるや、副腎髄質ホルモンが分泌される。


脳内での視床下部の位置。赤色で示す領域が視床下部(ウィキ)

視床下部が交感神経系に命じ、この副腎髄質ホルモンからアドレナリン(不安の除去)とノルアドレナリン(恐怖の除去)が分泌される。

また、副腎皮質刺激ホルモンも分泌され、コルチゾール(脳の海馬を萎縮させる)という「脳内ホルモン」=神経伝達物質に伝達され、血糖値を上げることで身体運動を活発にさせていく。

交感神経が振戦(しんせん・震えのこと)を起こし、消化機能を停止させ、膀胱を弛緩(しかん)し、心臓の心拍数を高め、血圧を上げ、瞳孔を開かせ、筋肉を刺激し、血糖値を上げることで身体運動を活発にさせていくのだ

感情の生理過程に収斂され、自律神経系(特に交感神経系)の活動によって生み出される現象は、人間の体内の本能的構造の所産である。

自律神経の基礎知識
この生理過程において、恐怖を感知したとき、人間は「逃走」を回避し、「闘争」に立ち向かうことで、自らを囲繞する「脅威的状況」を突破していくのである。

考えてみると、多くのアスリートにとって、競技そのものが恐怖=「脅威的状況」なのだ。

ここで、私は鮮明に想起する。競技そのものが、恐怖=「脅威的状況」に囲繞されたアスリートのことを。
高梨沙羅(ウィキ)
女子スキージャンプ選手・高梨沙羅(たかなしさら・
株式会社・クラレ/以下、敬称略)である。 

高梨沙羅は、シーズンごとの大会・スキージャンプ・ワールドカップでは勝利を重ねている一方で、オリンピックや、オリンピック以上に選手から重要視されていて、隔年開催の「世界選手権」(実力者が優勝するビッグイベント)といった大舞台(おおぶたい)で結果を出せないのだ


4位に終わった「ソチ五輪」
典型例を言えば、直前のワールドカップで圧倒的な強さを発揮し、金メダル候補の筆頭として臨んだ「ソチ五輪」女子ノーマルヒルで、首位のカリーナ・フォークト(ドイツ)に3位で肉薄しながら、2回目のジャンプで頓挫し、結局、金メダルとは縁遠い4位に終わってしまった。

この「ソチ五輪」から、向かい風ならポイントを引き、追い風だと加算する「ウインドファクター」距離が出にくい追い風の不利の解消を失くすため)が導入されていたが、高梨のジャンプは「ウインドファクター」の加算点を考慮しても、メダルに届かない失敗ジャンプった。


明らかに、高梨の「メンタル面の脆弱さ」が露わになった失敗ジャンプの現実は推して知るべしという印象を拭(ぬぐ)えなかった。

4位に終わった「ソチ五輪」
そのことは、「ソチ五輪」後の、打って変わったような高梨のワールドカップでの連覇記録の破竹(はちく)の勢いが、雄弁に物語っていると言える。

ワールドカップ通算53勝・歴代最多タイ記録保持者という、目が眩(くら)むような「単独行」の輝きが、「平昌五輪」が待つ2018年のシーズンに入るや、自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの)であったはずのリレハンメルでのワールドカップでは3位に留まり、結局、国内での札幌大会での2位が最高成績った。

マーレン・ルンビ・2013年(ウィキ)
因みに、「平昌五輪」で、女子個人ノーマルヒルを優勝したのは、マーレン・ルンビ(ノルウェー)、銀メダルはカタリナ・アルトハウス(ドイツ)。

共に、一気に力を付けてきた欧州勢ある。

そんな強敵揃いの中での、「平昌五輪「」の銅メダル。

ノルディックスキー・ジャンプ女子個人ノーマルヒルで銅メダルに輝いた高梨沙羅

高梨沙羅はインタビューの中で、悔しさを吐露しながら、喜びを隠し切れなかった。

今回もまた、「ウインドファクター」に翻弄され、刻々と天候が変わる苛酷な〈状況〉下で、「五輪」という魔物が棲む「戦場」が醸し出す、一種異様な空気に搦(から)め捕られつつ、必死に踠(もが)きながら、どうしても手に入れなければならない「特別の価値」を奪い取ったからである。

高梨沙羅にとって、「メダル」という、直径数センチ大の円形の延べ板は、珠玉なる「特別の価値」以外の何ものでもなかった。

色は何でも良かった。

「銅メダル如き」と言って、当て擦(こす)る者がいても、そんな雑音などどうでも良かった。

「ソチ五輪」の雪辱を果たすこと。

それだけった。


「平昌五輪」の高梨沙羅
雪辱を果たした風景の先に、もっと価値のある特別の、言葉にならないような、体全体で感じる微妙な感覚・「フェルトセンス」のような、未知なるゾーンが待っているかも知れない。

う、信じることで充分だったのではないか。

リアルに言えば、高梨沙羅の「平昌五輪の意味は、それだけったのだろう。

そんな彼女に、私は最大級の賛辞を惜しまない。

伊藤有希と抱き合う高梨沙羅
2回目の安定的なジャンプの着地後、高梨は笑顔でガッツポーズし、チームメートの伊藤有希(ゆうき・女子スキージャンプ選手)と抱き合ったが、このパフォーマンスの中に、彼女の「平昌五輪」の本質が率直に表現されているように思える。

「目標にしていた金メダルには届かなかったんですが、最後の最後に渾身(こんしん)の、ここにきて一番いいジャンプが飛べた。なにより日本のチームのみんなが下で待っていてくれたのがすごく嬉しくて。結果的には、金メダルをとることはできなかったですけど、自分の中でも記憶に残る、そして競技人生の糧になる、すごく貴重の経験をさせていただいたと思います。(略)やはりまだ自分は金メダルをとる器ではないとわかりました」(「ハフポスト日本版ニュース 2018年2月13日」)

このインタビューの中で重要なのは「自分は金メダルをとる器ではないとわかりました」という発言である。

「まだ自分は金メダルをとる器ではない」
他人に言われるまでもなく、高梨沙羅は、「メタ認知能力」(自己を客観的に把握する能力)の欠如である「対自己無知」(自分が分らない)ではない。

だから、「平昌五輪」が「競技人生の糧」になる。

「今・ここ」から再出発する。

そんな覚悟を言語化したのである。

前述したように、恐怖を感知したとき、人間は「逃走」を回避し、「闘争」に立ち向かう。

そこで、自らを囲繞する「脅威的状況」を突破していく。

多くのアスリートにとって、競技そのものが恐怖==「脅威的状況」なのである。

思えば、高梨沙羅には、「五輪」という魔物が棲む「戦場」そのものが、恐怖=「脅威的状況」だった。

「五輪」という魔物
彼女は「ソチ五輪」で、「競争的偶発性」という近代スポーツの宿命に嵌ってしまったである。

の後、周囲の揶揄(やゆ)に抗して、彼女は化粧を意識するようになった。

「キレイにしていることで、自信になるというか(中略)化粧をすることで、こう、スイッチが入るというか」

これは、「報道ステーション」(テレビ朝日系)での高梨沙羅の言葉。

私には、彼女の気持ちが透けて見えるようだ。

他者への関心を前提とする化粧行動を通して、自分の印象を適正に管理し、充分に視覚な自己表現を果たしていく。

「化粧をすることで、スイッチ・オンする」
その化粧行動によって、高梨が手に入れる第一義的な価値は自尊感情の強化である。

この高梨沙羅自己表現の本質は、非攻撃的で、適度な自己主張としての「アサーション」であると言っていい。

「化粧をすることで、スイッチ・オンする」


化粧行動が、自らを変えていくのだ

差別的なセクハラ行為の含みを持つ化粧行動それ自身が、様々な他者の視線を浴びることになるので、承認欲求を満たす一方で、鋭角的な視線の恐怖に馴致(じゅんち)することで免疫耐性を強化していく。

化粧行動の自立性
そして、それ以上に、化粧行動の自立性が、「スイッチが入る」精神状態を作り出す

この精神状態が自尊感情の強化に繋がるのだ

だから、高梨沙羅の化粧行動が、視覚的な自己表現をも超え、適度な自己主張としての「アサーション」と化す

「競争的偶発性」の純度を高めるまで構築されていく近代スポーツの宿命は、決して勝敗に拘泥(こうでい)しない、ジョギングのような「レクリエーションスポーツ」や、「自由自在」の「遊び」にまで下降せず、多くの場合、競技そのものが「恐怖超え」を必然化してしまっているである


高梨沙羅の「恐怖超え」
高梨沙羅の自我が、「ソチ五輪」から「平昌五輪」までの4年間に、自らが背負った負荷を昇華するには、この「恐怖超え」を突き抜けていかねばならなかった。

それが、高梨沙羅の「平昌五輪の全てだったのではないか。

私には、そう思われてならないである





2  「チームパシュート」こそ、鮮度の高い近代スポーツの結晶点である





繰り返しになるが、観る者の好奇心に睦み合うように作られ、そこで作られた新種のスポーツは、時代の鮮度が削(そ)がれることがないように、万全のルールを作り、観る者と一体化する競技を構築していく。

「競争的偶発性」の純度を高めるまで構築されていくのだ。

かくて、鮮度の高い競技に観る者を釘付けにする。

このとき、競技者観る者も、活性化したホルモン分泌によって「ハラハラドキドキ」という精神状態を作り出していくのだ

競技を介して、競技者と観る者が一体化するのである。


これが、近代スポーツ宿命である。

2012年ロンドンオリンピックにおける女子チームパシュート(ウィキ)
観る者の好奇心に睦み合うように作られた新種の近代スポーツの中に、自転車競技にルーツを持つ、抜きん出て面白い、スピードスケート系の「チームパシュート」という競技がある。

本来、個人競技であるスピードスケートに導入された初の団体競技で、2000年頃から始まり、「トリノ五輪」(2006年)から正式採用された歴史の浅い競技である。

この競技が面白いのジャンプ競技のように、近代スポーツの魅力の一つである「競争的偶発性」の純度の高さが保証されているばかりか、それ以上に、「戦略・戦術」が重要な要素になっているという点にある。

個人競技してのスピードスケートは、基本的に「強い者が勝つ」という印象を拭(ぬぐ)えないが、「チームパシュート」の場合、「団体追い抜き競技」と呼称されているように、必ずしも、常に好タイムで走り切るスピードスケーターの、その本来的な能力の高さで勝負が決まは限らないのである。

女子チームパシュートのスタート(ウィキ)
そこに、この鮮度の高い新種の競技の魅力がある。

「平昌五輪」で金メダルを獲った、日本女子の「チームパシュート」の場合、1チーム3名編成のスケーターが、1試合2チームという競技原則の中で、6周(2400m)でタイムを競うスポーツ。

この「団体追い抜き競技の特徴は、競技する2チームが横一線に並んで同時スタートをするのではなく、各チームがコースの反対側に分れて、同じ方向にスタートをするという方式をとっていること。

また、Pursuit(追撃)という英語で判然とするように、タイムを競う「団体追い抜き競技」は、3人目のシューズのブレード(スケートの靴に付ける金属の刃)の先端がゴールした時点がタイムとして記録されるので、横一線に並んでのゴールになりやすい。

従って、脱落者を出さないため、3人がいかに速くゴールするかという点がポイントになる。

競技がスタートするや、名の選手が縦一列に隊列を組むが、平均時速が50キロ近いので、先頭の選手が50キロの風圧を受け続けることになる。

日本女子チームは足運びから腕の振り方まで息ピッタリ
当然、先頭の選手の疲労が激しいため、先頭が後方の選手にコースを開けて譲り、追い抜かれて隊列の後方に付き、選手間での疲労の蓄積を分散するという合理的な戦術が用いられる。

ここに、「チームパシュート」の最大の魅力がある。

最も興味深いのは、コーナーで先頭を入れ替わりながら滑走しつつ、先頭の選手を風よけにしながら後方の選手の体力を温存するが、3名の選手が、最低でも1周は先頭を走行しなくてはならないというルールがあること。

だから、個人の力量が抜きん出ていても、その個人の力量が、「チーム」としての結集力に収斂されているか否か、それが勝敗の分岐点になる。

まさに、この「チームパシュート」こそ、トライ・アンド・エラー(試行錯誤)を重ねながら高度化した、鮮度の高い近代スポーツの結晶点であると言える。






3  「平昌五輪」 ―― 近代スポーツの宿命と結晶点





平昌五輪の「チームパシュート」の決勝で、日本が強豪・オランダを下して金メダルを獲得した余韻がまだ残っているが、動画で何度観ても、日本女子の「チーム」としての結集力に感嘆する。  

私が平昌五輪で最も印象に残り、絶賛したい競技だった。


400メートルのリンクを、3人で隊列を組み、6周する難しいレースを、日本は2分53秒89の五輪新記録で制したのである。

個々の力では、スケート王国・オランダのスケーターより劣っているにも拘らず、「空気抵抗」という最大の敵を巧みに利用し、それまで徹底的に合理的・科学的な鍛錬を重ねてきた、日本女子チームの「戦略・戦術」が見事に奏功し、完璧なチームワークで圧勝した。

これは、単なる「競争的偶発性」の勝利ではない。

日本女子チームが、年間300日を超える合宿によって、「空気抵抗」を軽減する鍛錬を重ねてきた結果である。


「一糸乱れぬ隊列」=「黄金のワンライン」

日本女子チーム
これを作り出すための鍛錬である。

人工的に風を作る風洞内で風速や圧力の分布を計測理想の隊列・先頭選手交代の効率を割り出す実験・「風洞(ふうどう)実験」を繰り返してきたことが決定的に大きい。

更に、選手の心拍数のデータを重視し、食事・栄養面の管理に及ぶ指導を図るなど、近代スポーツに総合的且つ、科学的トレーニングを積極的に導入したのだ。

徹底的な風洞実験を経て開発されたWARP TT(ロードバイク)

これは、近代スポーツに過剰なまでの精神主義を強引に組み込むだけの、「メンタル面」を強化する鍛錬と完全に切れている。

スピードスケートナショナルチーム(NT)の中長距離競技を率いて、殆ど完璧に成就したのは、オランダのコーチの力量に拠るところが大きかった。

件のコーチの名は、2017年段階で38歳のヨハン・デビット。

スピードスケートのアスリートだったが、記録を残すことのない無名の選手だった。

選手に向かないが、指導力はあった。

最新科学に基づき、選手の能力をマキシマムに高める指導を徹底する。


ヨハン・デビット
我が国のアスリートが、ヨハン・デビットの徹底的な指導を主体的に受け止め、実践していったのは、メダルがゼロに終わった「2014年ソチ五輪」の敗北で、スピードスケート競技のメダルに飢えていたからである。

ヨハン・デビットの徹底的な指導の成果が、個の力量頼る強豪のオランダの、強力女子チームに逆転勝ちし、金メダル獲得によって検証されるに至る。  

残念ながら、個の力量に頼るオランダの女子チームは、完成形の「チーム」を構築し得なかったということだ。

高木美帆
但し、年間300日を超える「風洞実験」が金メダル獲得に結びついたと言っても、中長距離走(500mから3000mまで)を熟(こな)すオールラウンダーのエース・スケーター・高木美帆(みほ)の存在なしに、日本女子チームの成功は覚束(おぼつか)なかった。

3人の息がピタリと揃った「黄金のワンライン」 ―― 高木美帆を中心にした日本女子チームの圧巻の滑り。

このフレーズに収斂される、平昌五輪の「チームパシュート」の優勝だった。

500メートルの銀、1000メートルの銅に象徴されるように、先頭からオールラウンダーのエース・高木美帆、決勝の序盤を比較的、時間帯を長くする滑りでオランダをリードした後、ヨハン・デビットの「戦略・戦術」通り、高木美帆が余力を残すため後ろに下がり、姉の高木菜那(なな)と佐藤綾乃(あやの)が粘り、中盤で逆転を許すものの、ラストで再び、余力を残した高木美帆が先頭で牽引(けんいん)して再逆転し、一気にゴールを走り抜けていく。  

日本が金メダル スピードスケート女子チームパシュート
紛れもなく、先頭の交代時のタイムロスを、限りなく少なくする滑り方などを研究し、磨き抜かれた鍛錬の成果が出た出色のレースだった

だからと言って、日本女子の「チームパシュート」は、オランダとの決勝に辿り着く行程が、常に万全だったと評価し得る訳ではない。

中でも、結果的には勝ったが、中国との準々決勝、後ろからの「待って」という声に反応し、フライングと勘違いした先頭の高木美帆がスタート直後、一瞬、体を起こし、足を止めてしまったレース冷や汗ものだった。

スターターの「レディー」から号令までが長いので、スタートの絶妙なタイミングを逸してしまったのである。

「間が長くて、タイミングが難しい」

レース後の選手の言葉ある。

号令までの長さは、テレビ視聴者にも分かるほどで、フライング起こりやすい印象を拭えない。

中国との準々決勝でのミス
ワールドカップで連勝中であっても、「冬季五輪」となると空気が違う。

何が起こるか、予想の範疇に収まらないのだ。

「競争的偶発性」の「偶発性」が、「五輪」のような大きな大会で発現するからこそ、瞬時でも集中力を切らすわけにはいかないのである。

その辺りが近代スポーツの面白さであるが、だからこそ、逆に、過緊張のセルフコントロール能力が求められるとも言える。

現に、中国との準々決勝では、中盤までタイムが遅れていたが、最後は実力の差が出て、一気に抜き返した。

しかし、相手がスケート王国・オランダだったら、得意の後半の逆転劇が頓挫(とんざ)した可能性が高い。

こに、「五輪」の怖さがある。

ジャンプを失敗したネイサン・チェン
この例は、優勝候補の一人・フィギュアスケート男子の米国代表・ネイサン・チェンが、団体戦ばかりか、個人戦でも、ショートプログラム(SP)の全てのジャンプを失敗し、17位発進という惨敗によって、メダルが絶望的になった痛切なエピソードを想起すれば充分だろう。

―― ここで、「4人目」の選手・菊池彩花(あやか)の存在価値について書き添えておきたい。

日本女子の「チームパシュート」は、高木美帆、高木菜那、佐藤綾乃、菊池彩花の4人チームで臨んでいた。

前3者が中心だが、最年長で170cm近い身長の菊池彩花は、絶対負けられない準決勝に出場し、その身長の高さが「壁」として重宝され、高木姉妹の完璧な風よけになった。

準決勝の対戦相手は、オランダと並ぶ強豪のカナダ。

菊池彩花に期待されていたのは、50キロの風圧を受け続け、自らが疲弊し切ることで、高木姉妹の脚力の負担を軽くすることである。

左から菊池彩花、高木美帆、高木菜那・準決勝のカナダ戦
最も速い高木美帆の脚力を生かすため、誰かが「犠牲」になる。

これが、「チームパシュート」の最大の魅力であり、「団体追い抜き」という競技の本質的価値である。

菊池彩花の存在の決定的価値は、まさに、ここにあった。

その準決勝で快心の滑りを見せた菊池彩花にとって、「平昌五輪」の意味は、ミスが許されないオランダとの決戦において、疲労を抜いた高木姉妹を万全の状態で送り出すことである。

だから、菊池彩花は、単に4人目の選手ではない。

菊池彩花
予備の選手でもない。

「チームパシュート」の不可欠で、絶対的に要請される選手なのだ。

こういう選手が普通にいて、普通にチームに溶け込み、いつものようにレースに参加する。

そして、勝ち切って優勝する。

左から菊池彩花、佐藤綾乃、高木美帆、高木菜那
金メダルを得た喜びを、皆と共有するのだ。

日本女子「チームパシュート」本来的な力道感、「競争的偶発性」の純度が、中国との準々決勝でのミスによって、一瞬、負荷を負ったが、ここに至るまで蓄積した、「黄金のワンライン」に収斂される総合的且つ、科学的トレーニングの鍛錬の成果が実を結び、プレッシャーの片鱗(へんりん)も拾えないような落ち着いたレース運びを完遂し、再構築する強さのうちに裏付けられたのである。

それは、ミスによって破綻してしまうレベルを超えていた。

―― この事実は、開催国・韓国女子のチームパシュート」信じ難い結束力の脆弱さと比較すれば、充分に検証できるだろう。

殆ど「チーム」が瓦解しているような韓国女子の「内紛」は、その後の7・8位決定戦まで尾を引き、惨憺(さんたん)たる様相を呈していた。

韓国女子パシュート
チームのノ・ソンヨンが隊列から遅れたことを、同チームのキム・ボルムとパク・チウが露骨な批判をしたことで、一切がダメになってしまったのだ。

元々、五輪前からチーム内の確執(かくしつ)が表面化していたと指摘されるが、そんな状態を野放しにしてきたスタッフ・選手の非主体的な行動様態に疑義を呈するばかりである。

3人又は4人で構成されるチームを組み、隊列を組んで速さを競う「団体追い抜き競技」・「チームパシュート」という、考え抜かれたルールを持つ競技から、万全の態勢で臨む「チーム」を構築する結集力が削(そ)がれてしまったら、個々のスピードスケーターを寄せ集めた小さな集団でしかないだろう。

「チームワークの崩壊は予想されたことだった」

朝鮮日報(日本語版)の記事である。

「一度も、一緒に練習しない」などという、伝えられている情報が事実なら、韓国女子の「チームパシュート」の自壊は、「約束された破綻」を上塗りするだけの現象だったと言う外にない。

キム・ボルムが涙の謝罪会見
韓国大統領府のウェブサイトには、キム・ボルムとパク・チウの代表資格剥奪を求める請願が寄せられ、50万人の賛同が集まったと報道されていたが、ただ絶句するのみである。

これは、韓国批判のブログとは無縁なので、エビデンス(根拠)の不明な言及を繋ぐのは止めておく。

私としては、「チームパシュート」の生命線が、「一糸乱れぬ隊列」=「黄金のワンライン」を完成形にするための鍛錬の累加にあると考えるので、その意味で、日本女子チームの優勝もまた、ほぼ、「約束された金メダル」であったと評価できる達成点だったと誇れるだろう

日本女子の「チームパシュート」の達成点は、「競争的偶発性」の純度の高さと、合理的・科学的なトレーニングをコアに据え、「戦略・戦術」が最も重要な要素になったことで、極めて鮮度の高い競技の訴求力を保証した。

まさに、「平昌五輪」は、近代スポーツの宿命と結晶点を表現する格好のステージになったのである。

【参考・引用資料】 「パシュートとは?ルールや見どころ解説!」

(2018年3月)



追記・【2018年3月10日に、「スピードスケート世界選手権」がアムステルダムで行われ、高木美帆が日本勢初の総合優勝を果たした。世界選手権で総合優勝6度に及ぶ、スケート王国・オランダの女王・イレイン・ブストを破り、遂に頂点に立った。快挙である】


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